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As a brief introdaction about me:

 

I actually live in Paris and work mainly in Europe.

I try developping personal, "radical" approches with sounds (voice, percussion) in different contexts (solo, duo etc in music, sound art, theater, danse, or visual art) by using both improvisation and composition. 

My work is situated at the threshold of "idiomatic" - "non-idiomatic".

(including some grafic works as a "letterist")

単刀直入に言えば、インプロをイディオマティックとノン・イディオマティックに分けて考えることはその作業を深める上で有益であるだけでなく重要である。本来は一つのことも、その一部にしか光が当たらず、さらにはその光には陰りも見えているとき、どこかに何か問題がある、それなら他の部分の状態を確認し、できれば、そこにこの一つのこと全体への救いを見出してみたらどうかと考えるのは自然だろう。イディオマティックの利点とは、それを獲得するための様々なチャレンジにより、それが我々の精神を鍛えるということにある。その根本は一般に考えられているように、有用性にあるのではない。それに注意しないと光は失われる。そうでなければ、この二つのタームは必要でなかった。もともと、イディオマティックというタームすらも必要とせぬ、単なる一つのことであった。二つのタームの発明は、愚かさに気づけば人は賢くなれる、いや、本来の道を辿り直す契機を得るという一例である。これは何ら新しいことではなく、同じようなことはすでにいろいろなところで違う言い方で言われている。が、その多くは鍛錬抜きの現状分析であり、よって精神性には関係がない。

                                 

                                 Ljubljana 10/01  2020

                               

とか、胸を張って言えるようになりないな〜。

いわゆる「特訓」ですが、特別な訓練ということは普段は特別でない、とな。本当は特別を恒常化しなければいけないけれど、そしたら休みがなくて疲れるじゃんとか、緊張と緩和は役に立つのよとか、いろいろあるのでしょう。ところが、好きなゲームは体力の限界まで底なしでやれる。これ、要するに本当に好きでやりたいかどうかの話だわ。

いや、特訓というのはまだ力が足り無い奴を鍛えるとか、自分より力がある人と一緒に練習して、自分の力を引き上げる、その人から盗む、ということでは?要するに、これはまだ自立状態にない人のためだよ。もちろん自立状態にあると自分で思っている人も、自分の展開を世の中のヒエラルキーにおける成り上がりとして考えているのなら、上には上があるわけだから、常に注意する必要があるが、自分の能力について他人との比較ができる状況にいるならば、自己の現状認識もしやすい。問題は成り上がりを超越する場合だ。

いずれにしても、自立状態にまずは達しなければお話にならないよな。それは何かというならば、自動(自分で稼働)できる状態で、別に他者としての人は必要としない。他者としての物は要るよね。自動といっても稼働するにはこれがいる。他者としての人は特に意識しなくても、一旦何かでいい感じで(直接でなくともメディアでもよい)出くわすと、後で必要があればそれについての想起が起こり、そこで自分の中に取り込まれる。結局は他者の恩恵に預かって生きるしかないわけで。それを意識してないと、今日は天気もいいし、「お返しにりんごをあげようかな〜」とかならないよな。

で、だよ。自立状態とは自分のモーターが永遠運動できる状態に入っていることと言いますか、これが基本で、もちろん人の道として、このモーターは感動で涙したりすると加速し、孤独が深まり、それが辛くなると減速するのだが(睡眠時も稼働中)全体として他者からの頂き物を吸収することによって次第に加速する。ここで注意すべきは、高速状態が低速も可能にすること。むしろ、本当に速度を落とせるかどうかが、真の高速状態を実現しているかのバロメータになる。とは言え、大事なのは量ではない。必要な時にそれにふさわしい速度が意図せずとも実現できるかどうか、そして、その「意図せず」の状態を更新>更新>更新>更新ツクツクできるか否か。これですよ。

まあ、自立にも、いろいろあるということか。つうか、それってむしろ「自律」じゃないの?

まさか人材育成の話ではないよね?自立と自律なんて、だじゃれだね。更新云々よりまだまし。ほんで、自リツ場帯に入るにはどうする?そのモーターはどこで手に入れる?

全て習慣だよ。ガキの頃から本人はわけわかんうちに、親に野球とか将棋とか音楽とか、なんでもええねん、叩き込まれた奴はさっさと、それを獲得する。素直な奴はそれしか能がなくなり、気がついていたらその道のプロ。単純な動機で単純に続けるとそれなりにジリツする(そのクオリティーはさておき)。そうでない、捩れた奴は自立のお年頃になると、結局は親の押し付けでこんな俺になっちまった、自分で自分の道は探さねばとやってみるが、大体が手遅れ。期待は大器晩成派にかけるしかない。こんなところにもイディオマティックとノン・イディオマティックが顔を出す、つうわけ。

上手くまとめたつもりかしら?それこそ鍛錬抜きの分析。私は早速その習慣とやらを精神の鍛錬のために始めるわ。ムダぐち終了。バイバーイ。

                               

                               Ljubljana 12/01  2020

                                

           

                                        

                                                                                                                                                                                                                                      

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